5年目のつぶやき

2022/12/21

スタジオの事業が5年目を迎えるにあたり、ちょっとした備忘録として振り返りの話。

Domainについて

まず弊デザインスタジオ「Domain」について説明しておくと、2018年よりExperience Designを主な活動に据えた、私sabakichi が運営する個人デザインスタジオである。

事業内容としては、xR(VR, MR, AR)のコンテンツ企画や体験設計、そこから接続をした空間デザイン(建築設計)への落とし込み、UXデザインへと具体化、それに伴うUIの構築などを行うデザイン制作を主にしていて、それに加えて単発のグラフィックデザインなリアル側の空間デザインなども請け負っている、いわゆるマルチなクリエイティブスタジオ的なヤツだと思ってくれれば相違ない。今年は4年目にあたる年だった。

制作と研究活動(Research & Design)の両面を兼ね備えたデザインスタジオ、という位置付けを、超小規模に回していく活動体を目指して立ち上げたもので、新領域やニューメディアに対して有効な強度のあるデザインメソッドを、社会にラピッドに先行実装することで「自分達の領域(Domain)を能動的に定義していこうよ」というコンセプトを掲げている。現在は、前向きな漸進思考の理解あるクライアントの皆さんと共に粛々とそれを実現するために努力をしていっている、といった感じ。

単なるフリーランスと異なるのは、小さいながらもある種の容れ物として存在しているという点で、必要であればミクロなチームを構成していわゆるCreative Agencyのような役回りも担うことができるように環境を整えていっている。

複合メディア領域の制作のこと

この数年で最も注意深く観察をし、考えてきたものの一つに、xR時代のクリエイティブはどのようなチーム体制によって行われることが最適なのか?という問いがある。スタジオのメインの活動を複合メディアの領域に据えることを決めてからというもの、継続的に取り組んできたテーマの一つだ。

話としてかなりフクザツなことと、そもそも一定の制作経験がなければ理解ができないハイリテラシーな話であることから、特にどこにも書いたりはしていなかったが、現状を記すという意味でも、簡単にどういう捉え方をしているか備忘録として書いておこうと思う。

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メソッドが確立していないxR領域においては、各ジャンルの専門性を寄せ集めたチームを構成したり、短期試行的にチームを構築することが多い。

その中でも、インハウスで賄わずに外部から助力を請う場合、プロジェクトのコアとして据えやすい代理店的なポジショニングを行うプレーヤーは、制作というよりは営業が中心であり、従来の代理店の考え方をそのまま流用してしまいがちだ。重要な差配を行うポジションやロールに、外部プロデューサーや制作実態のないディレクター的な役回りの人間をあてがうことが多々見受けられる。従来の制作のやりとりを考えるとその程度のパイプラインであっても概ね機能はしていたが(そしてリスクをうまく分散できてはいたが)、xRのような混交型の新領域においては、単なる潤滑剤としての役回りだけでは不十分であることが多い。

というのも、従来型のポジションとアサインでは、複合メディアに対応することが難しくなってきている側面がある。これは例えば「映像制作の人間は空間設計のことがわからない」「システムエンジニアは音楽のことがわからない」といったような話だ。分業体制が当たり前になった昨今においては当たり前のことのように聞こえるが、従来からあるような「エンジニアがUIのことがわからない」といった程度の話ではなく、それらが隣り合った領域ですらないという点が問題になってくる。

つまり、今まで混ざり合う必要がなかった領域同士が、統合的に一つの体験を構築しなくてはならない時代が来てしまったので、それに対応する必要がでてきた。しかし、そんな人材は基本的には「どこを探してもいない」のである。

制作の観点から最も近しいスキルセットを有している業界は、ゲーム業界とインタラクティブメディアを取り扱うクリエイティブ系制作会社の二つで、次点で映像制作系、3Dヴィジュアライゼーションと続く。しかしドンピシャでハマる人材がなぜいないのか?おそらくそれは今までになかった新しい領域が存在している証拠でもあるのだが、存在していなかった新しいメディアを取り扱う方法を誰も知らないのは当然のことである。「どこかの誰かはできるに違いない」と幻想を抱くのはそろそろやめた方が良い。いないから新しい職能を生み出そう、そういう姿勢で挑みたい。

なので、xR系の制作を実際に行なっている人々は暗中模索で必死に新しい方法論を毎回発明し続けている。そういうフェーズにいる最中に「メタバースできます」と自信満々に言い切る人間がいたとしたら、その欺瞞と無根拠さがよくわかるだろう。実際には白紙から一つ一つ書き記していく、強い胆力が求められる領域なのだ。

ここで面白いのは、必要なスキルセットをチームに放り込んだとしても、統合された豊かな体験ができあがるわけではないというところだ。というよりもむしろ、専門家を個別に分業して分担をさせればさせるほど、エントロピーが「勝手にまとまる閾値」を容易に超えていくため、従来の制作よりもディレクションとマネジメントによって強い統制を行わなければならないという点がxR制作の特異的な側面である。軸の強さと要素の多様さだけでいえば、映像系の監督(Director)による統制力を彷彿とさせる。

そのため、xR領域におけるディレクター格には、統合的な体験を設計するにあたり、実践的な専門分野・領域を2つ以上経験している、もしくはそれに類する境界領域でのブリッジとしての思考と役割とを適切にこなせる能力が求められている。これはつまり、その分野のことを直接知らなくとも、常に学習をし、プロジェクトが成立するために必要な情報をリアルタイムで獲得していくことができるという柔軟性が、スキルとして高い次元で必要となってくるということを意味している。

具体的には、最低でもプロジェクトマネジメント(PM)の経験があり、クリエイティブ系のディレクター経験(肩書きだけではなく実態を伴う必要がある。複数メンバー・複数企業間の制作上の差配を完全に一人でコントロールした経験を有するという意)、もしくはそれと同等の、全体を俯瞰し横断的な統制を行える職能が必要となってくるという印象だ。

そしてこれらの能力を、実際の業務を通じて獲得している必要がある。これは一定の強度を担保することに加え、共通言語の問題が絡んでいる。業界ごとに、使われる言語や概念、考え方が異なっているが、それらは共通言語としてその後も制作の現場に用いられる。これがクリエイティブの世界においては「いきなりフリーランス」が成立しない理由だ。

そのため、野良で育った強いクリエーターです、といったようなWeb業界などでみられるシンデレラストーリーは残念ながら(協業を前提としたプロジェクトにおいて)xR領域では通用しなくなっているという印象がある(アーティスト活動なら話は別だが)。なかなか厳しい分野だ。野良と組織とをうろちょろしてきた人間としては自分でも耳が痛い話だが、この要の部分がミスマッチだと、現場は大変なことになってしまう。(実際に大変なことになっている現場の話を、とてもとてもよく耳にする。)

興味深いのは、チームへと強いディレクションを走らせることに成功したとしても、それは旧態のクリエイティブの論理の延長でしかないため、すぐに限界が来る。どんなに優秀なディレクターが配置されたとしても、xR制作においてはキャパシティを容易に超えていくところがある。これは管理すべき要素が多すぎることが主な要因だろう。建築設計でも同じような構造的な課題があるのだが、一人の超人が求められるやり方はいずれ限界が来る。真に自律分散型のCo-Creationにしていくためには、コンテンツの設計メソッドが重要になってくるというところは、近年の制作現場の潮流と同じである。

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ところで、こうしたロールを明確にする装置として、クレジットがある。何を担当したかを伝達する小さなコミュニケーションメディアだ。多くの人にとってはコンテンツの最後に表示される退屈な文字の羅列にしか見えないかもしれないが、我々にとっては極めて重要なものである。ここに記載する肩書きというのは、かっこいいから付けているというものではない。クリエーターにとってクレジットというのは、「経歴を証明する唯一の方法」なのだ。

だからこそ、クレジットに記載される内容は、実態と厳密にマッチしている必要がある。ディレクションの能力がないのにディレクターと記述してしまったが最後、ディレクション経験者として皆その人を扱うようになる。当人は気分が良いかもしれないが、しかし、実際にそれを期待してアサインした結果全くできませんでした、ということはよくある話だ。そういうことは詐欺のようなものなので、のちになって自らの過ちに気がついたとしても、クレジットを修正することはできない。クレジットというのはそういう意味で「強い」ものなのだ。だからこそ厳密に取り扱う必要がある。なんとなくで名乗るべきものではない。

もちろんこれは制作手やメンバーだけの話ではない。発注者やクライアントサイドにとっては“目立つクレジット”が宣伝効果を高めるため、ついウケが良く格好がつくロールの名称を当てたくなるものだが、受発注の観点でいえば、発注時やアサイン時に期待していた能力と実際に発揮される能力とにズレがあると、最終成果物であるコンテンツ自体のクオリティに致命的な影響があるため、宣伝どころではなくなってしまう。優先度として、コンテンツの品質>宣伝の派手さ であるならば、事前にきちんとアサインする相手の能力を判断できる情報が必要になってくる。

所属、肩書き、キャリア、実績、ポートフォリオと、クリエーターの評価を行うためのメディアはいくつかある。ポートフォリオや実績リストは一見するとその人を評価する最も信頼性の高い指標として捉えがちだが、実際のところほんの少し打ち合わせに参加していただけで参加作品として組み入れたりお手伝いレベルであることも多く、そうした「ギリギリ許されるレベルの詐称」は近年問題視されており、事前に別の評価や情報がない限り判断が難しい。そのため、発注者側の承認プロセスを介している信頼性の高い情報というとやはりクレジットだろう。よってクレジットの記載が適切に行われることは、業界全体として最終的に巡り巡って全員にとっての利益になるので、やらない手はない。

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そういう話も含めて、xR制作におけるチームとメソッドとを適切に機能するように組み上げるには、高い次元の差配の能力が求められてしまう。ただでさえ普通のチームを組むだけでも難しいというのに、異業種が混交した状態で、共通言語も異なるなか、それらが有効に機能するように成立をさせることがいかに難しいか。従来とは異なる制作フローを整え、誰も経験したことのない要素を足し合わせていく……。

業務としてはコンサルティングのようなかたちで関わらせていただくことも多いため、解決策として取り組んでいるものはいくつかあるのだが、基本的にはコミュニケーションを設計する活動をひたすら整えていくという胆力の戦いになる。いずれxR業界というものが成立するのであれば、そのような特殊な個別解は必要なくなっていくのかもしれないが、それまではやはりそれなりの専門性として扱われていく必要がある内容に思える。

ちなみに制作メソッドに関しては、これら課題の「解き方」として、建築設計の思考方法やプロセスを応用し、空間を中間メディアと定め、体験をArchitectureとして“設計”するというメソッドを提案・実証している。いくつか実績として表に出ているものや、R&Dとして提案を行なっているものはすべてオリジナルのメソッドを介してデザインを実践していっているものだ。(このあたりの詳しい内容については実際にお付き合いがあればお伝えしています)

ともかく、この4年の間に、いくつかの企業において、チームの組み立てや設計に協力させてもらったが、こうした一段階メタな領域を取り扱う必要があるのも、xRの取り組みの難しさとともに、おもしろさの一つであるように思う。

立ち位置のこと

ここしばらくは、「体験デザイナー」という肩書きで活動をしてきた。

実はこの体験デザインという語を使い出した時点では、世の中にほとんど目にすることもなかった単語だったのだが、この数年で一気に爆発してしまって、何を指しているのかが不明瞭な、Hypeな単語の代表のようになってしまった。とてもかなしい。

メタバースと同じように、Metaがあの発表でExperienceと連呼していたことが印象に新しい。同時に「空間体験」という語もよく目にするようになったが、展示企画者や設計者以外に本当にこれを論理的に説明できる人間はいるのだろうか?と、何を指して使われているのかがわからないシーンばかりを目にするたびに思ってしまう。あれから一年が経ち、そろそろ飽きられたのではないかという淡い期待を持っている。当然ながら、これらを業務として取り扱うにあたっては、それぞれのことばや概念には明確な定義をもって挑んでいるのだけれど、流布されているような曖昧な使い方と同じようなものであるとあまりに誤解されるがために、最近はこの言葉を使うたびに戸惑いを感じるようになってしまった。功罪でいえば罪の方が圧倒的に多かったように感じているが、しかしメタバースという概念が乗り越えたリテラシーの壁は大きく、それでもなお世間的な注目を集めたことは結果的には良かったと思ってしまう。

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いくつかの業界から見たときに、私のやっていることは彼らにとってもよく理解できない内容になっていることだろう(らしい)。業務の方法論としてもジャンルとしても「空間体験デザイン」がいずれか確立されたものでは一切ない。だから、お付き合いしてはじめて「そういうこと」であるということが理解できるという仕組みで動いている。

本当はこれらのクリエイティブの解説なども、Webサイトにわかりやすく掲示しておければいいのだろうけど、事前に理解をするまでリテラシーを教育するコンテンツを予め用意することは、体験型の複合メディア領域では困難なために、何をやっているのかわからないということになってしまっている。これは解決した方が良い課題だろう。

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私の精神的な基礎となっている建築業界からすると、Virtual空間の設計はまだ設計活動ではないと見做されているようである。まぁ旧社会型の権威主義の価値基準で動いている業界であるから、そのあたりの認識の柔軟性を獲得するのには時間がかかるのだろう。最近ではメタバースブームで大物作家等の多少の流入はみられたが、結局、シリアスに設計対象として取り組んでいる人はほぼ存在していないに等しい(むしろ設計出身者という観点からはこの4年間で減ってしまった印象がある)。

デザイン業界(ざっくりしすぎだが)から見ると、そもそも展示イベントですらいまだ境界領域扱いであって、さらに彼らの職能としても3次元空間をメディアとして扱う専門性は特に有していないことが多く、xRなど遥か遠くに霞んでいるように見える(スマホARが好まれているのは、このあたりの制作手のリテラシーの問題も多分にあるだろう)。メタバースブームで経済的な魅力が増加したおかげで、ようやく代理店経由でいわゆるクリエイティブ系の感性が入ってきた感があるが、不思議とまだ魅力的な領域とはあまり思われていない空気を感じている。なぜかはわからないが、おそらく実際に体験したり遊んでみていないからだろうと推測している(まぁ彼らは文字通り死ぬほど忙しいので、わからなくもない)。

といった感じで、こういう距離感でやってきたわけだけれど、それでも、私の名前を打ち合わせで挙げていただいていた話だとか、企画に参考にしていただいたという話を小耳に挟んだり、関わってきたものが巡り巡って大きな影響を持つコンテンツに昇華されているところを見られるのは、境界で後ろ指を指されながらやっていかなければ味わえない嬉しさかもしれない。そういうことを最近になって思うようになってきた。

xR領域が切り開いているのは、奇妙な、誰も見たことのない、あらゆる制作のすべての中間地点であり、同時にすべての領域ではない部分を含む。そこには高度に設計された体験があり、そのメディアとして新しい空間が存在している。

「わかっている人にしか見えない存在」なのはなかなかクリエイティブ仙人的な感じがして自己実現としては好ましいと思いつつも、一方で事業をやってる身としてはニッチな観測しか齎さないのはPR的にはなかなか深刻な話で、この生き方には継続性がない。営業の巧拙は、すべての独立しているクリエーターの悩みだから、特別なことではないのだけれど。

2022年

今年は暇な時期が存在しなかったことを考えると、スタジオとしてはそれなりに充実した一年だった。

プロジェクト的には小〜中規模のものが多く、オモテで目立つ案件のかたわらで、非公開の研究的な案件が比較的多い傾向のある年だった。単発で役に立つ技術というよりは、考え方などを実際の業務に実装していくにあたり、その準備をしていく社会的なフェーズの変化の経過にも思えた。

一方で、先方都合によりプロジェクト自体が中途で立ち消えたものが複数あった。COVIDでのバーチャルブームの終焉を感じるとともに、ほとんどを個人で回している身としては、事業継続性が危ぶまれるヒヤリとした年だった。というより正直その赤字でもうやめようかなと思った時期があった。

収益を上げようと思えばもっとやりようはあるのだろうが、ここにつらつらと書いてきたように、それなりに実現したいことを明確に定めた前のめりなやり方をしていることもあって、なかなか安定を確保することは難しい。こういう不安定さが常にリスクとして付き纏っているのはよくないと考えているから、来年はこのあたりの安定を課題感として持っていきたい。

スタジオとしてのブランディングも素うどんのまま4年が経過し、そろそろ色付けをしても良い時期かもしれない。

つらつらと取り止めもなく書いてしまったが、読んでくれた方、お付き合いいただきありがとうございます。Domainとsabakichiのこれからの活躍にご期待ください。

2022年12月21日
sabakichi記

2022年12月22日 クレジットについての項に一文を追記