今年買ってよかったもの 2024

2024/12/31

アトリエからの今年最後の空

「その年に買ったものを紹介し合う」という消費活動における周辺文化が、古くは雑誌やテレビ、最近ではインターネットを中心としたメディアコンテンツとして根強く存在し続けている。

紹介者それぞれの視点から、自分の思いもしなかった“ものの見方”が飛び出してくる様は見応えがあるし、自分が不要だと思っているものでも人によっては価値がある、という現実の多様性が実感できるという点で、あたかも自分以外の人生を追体験しているかのようで、これを毎年楽しみにしている。

自分が手に入れたものを紹介する、という行為は、他者と有益な情報を共有するという純朴な喜びとともに、自分のアイデンティティを表現する1つのコミュニケーションの方法でもあるのだろう。はるか昔の人類が、狩猟採取した獲物を見せ合うのとどこか似ているかもしれない。

最近では、YouTuberやインフルエンサーが発信する「買って良かったもの」情報を観ることが増えてきたこともあって、すっかりそういう発信活動をしている人の領域かなという気になってしまっていたのだが、しかし考えてみれば、ブログ時代にはオタクはみんなやっていた(主観的バイアス)わけだし、共有型のライフログだと捉えれば、実はなかなか自分のためになるのでは、という当たり前のことに思い至った。

「あれっていつ買ったんだっけ?」や「その時どう感じていたのか」を振り返ることができるようになるのとともに、他の人にも情報だけでなくモノを基点とした経験を共有することができるし、自分にとっても備忘録にもなるしで、一石数鳥くらいはある。ものは試しに「今年買って良かったもの」を振り返りながら、みんなと共有する体験をしてみたい。

Bambu Lab A1 mini

Bambu Lab 公式サイト

今年買って良かったもの第1位は、もうなんといっても3Dプリンターだった。

購入した時期がちょうど案件が一段落した谷間だったこともあり、割と本気めにハマってしまって、しばらくのあいだ、造形やプロダクトのスタディを起きている間は無限に実行し続ける、人間性を喪失した生活を送る羽目になった。

3Dプリンターそのものとの付き合いは思いのほか長い。 大学の卒業制作でも使っていたり、前職でもプロダクトデザイン向けのオペレーションやインストラクションを行っていたこと、そして現在は300mmサイズ造形対応の3Dプリンターをスタジオでも所有しており仕事にもそこそこ使っているので、良いところ悪いところはそれなりに理解しているつもりではある。

しかしそれでもBambu Lab A1 miniは衝撃的だった。 何より面倒なことが一切ないのが良い。Maker’s Movementの時期には「電子レンジのように各家庭に1台の時代が来る!」などと囃し立ててはいたものの、実際にはメンテナンスの難易度の高さ、要求されるリテラシーの範囲の広さから一般への普及には遠く及ばなかった。実際、デザイン業務に何らかの形で導入・運用してみると、その厄介さや煩雑さが身に沁みる。それと比べると、A1 miniは明らかに世代が変わったと断言できるほどには一切のストレスなく扱えるようになっていて、あの頃の夢が眼前に現れたかのようだった。

A1 miniの最大の特徴は、造形速度を上げても精度が高いところだ。従来の3Dプリンターと比較すると、高精度と高速度を両立するためのメーカ独自の機能が数多く実装されている。その中でも「固有振動数の測定」機能には驚かされた。設置場所や棚の共振する振動数を計測・学習し、動作に補正を掛けるというものだ。なんか本体が振動してブイーンという音とともにキャリブレーションしてくれる。なんという未来なんだ。おかげでユーザ側で設定をあれこれと試行錯誤する必要もほとんどなく、基本的には乱れのない造形が放っておけば勝手に出来上がる。

A1 miniの導入とともに、せっかくだからとFusion(3DCAD&モデリングソフト)を本格的に使い始めることにした。独立してからは触れる機会のなかったプロダクトデザインや工業デザイン寄りのCADだが、おかげでフィーチャーベースのパラメトリックモデリングに慣れる良い機会にもなっている。専門ではないが身に付けておくと便利なプロダクトデザイン力もモリモリ上昇しているのを実感していて、一石10000000鳥くらいある。

最初に取り組んだのは、手工芸と工業のあいだにある造形といえばやはり器、ということで「3Dプリントでしか表現できない器とは」というテーマでスタディ作品をいくつか制作した。



器を主題にしたのは個人的にかなり正解で、ここから多くの3Dプリンターの特性や世の中の樹脂製品に対する存在の意義などを考えるきっかけとなった。


それから主題とは逸れるが、3Dプリンターを導入したおかげで、レンズを自作するという異常な冒険にもチャレンジすることができた。


それまでやろうとも思わなかった、やれるとは微塵にも思っていなかったようなことを、思いついて実行できるというのは、この道具がなるほどそれなりに新しい存在であることを示しているようにも思える。まさに道具の恩恵である。



その他にもいっぱい作った。もはや何を作ったかも覚えていないくらい作った。 ストレージオーガナイザーはすべて自分でデザインした3Dプリント品に置き換わったし、小物を入れておくケースも、ほんの少しだけ便利な治具も、業務でのラピッドな造形スタディやモック出力にも使え、特に身の回りのものに関しては樹脂製品を新たに購入することはほとんどなくなった。完全に元を取ってしまった。本体は実質無料。フィラメントは無限。ありがとうBambu Lab。我が家にも竹が生えました。

Leica M11

Leica M11 | Leica Camera AG

ついにやってしまった。M型ライカである。

とはいえ、実はライカ自体はLeica Q2を以前からひっそりと使っていて、それなりに枚数も撮っていることもあり、厳密にはライカデビューというわけでもないのだが、それでもやはり写真を撮るのが好きな人間にとってM型ライカを手にするというのは、写真とカメラの歴史を思えば、それなりに感慨深くなりもするものだと思う。初めて手にした瞬間、ぞわりとした震えのような、底から沸き上がる高揚感のようなものを感じて、ああなるほどこれだったんだな、という独特の奇妙な納得感があった。

値段を知れば「カメラになんという金額を!」と思う人もいるとは思うが、いや実際自分でもそう思ってはいるのだが、しかしライカのおもしろいところは、リセールバリューが一定期間継続するというところにある。要するに、新たに乗り換えたりで手放す際に、購入した際に支払った金額がそれなりの割合で返ってくるという不思議な市場価値があるので、実質的な取得価格は実は見かけよりは小さくなる、というカラクリが隠れているブランドなのである(ただし使い潰したりコレクション目的での購入の場合にはこの論理は通用しない)。カメラメーカ自身もこれを承知の上で値付けを行っているような節もあり、年々徐々にメーカ価格が上昇を続けている。ものの価値というのはどこで決定されるのだろうか。そういうことを考えさせられてしまう道具でもある。

ライカについて「意味もなく高いだけのブランドなのでは?」という疑義があるのはわからなくもない。自分も色々な機材を使って写真を撮り続けてきて、実際にライカを手にして使ってみるまではよくわかっていなかった。

ただ、1つ言えるのは、一定以上の審美眼のある人か、ないしは何らかの制作経験のある人間が見れば、すぐに判別できるくらいには、ライカ固有の特徴が本体・レンズ共に数多く存在しているということだ。そしてこれは他のメーカでも同様である。ライカだけが特別ということはない。それぞれのメーカの良さがあらゆる要素に詰まっていて、それが出力される画の違いとして現れてくる。しかしそれは一次データの話であって、今時は加工が前提であるから見方によってはほとんど意味のない違いとも言える。

加えて、この手の疑義には、たいてい肝心の「道具としてのプロダクトデザイン」の視点が抜け落ちていることが多く、議論としてはなかなかに不毛だ。触り心地やフィーリングが表現活動に及ぼす影響は小さくない。さらには、たとえどんなに良いプロダクトだったとしても、そこに万人にとっての高い価値があるかというとそれは人それぞれであるから、なかなか不可能性の高い話だと感じる。

3ヶ月ほど使ってみたが、道具というものはできる限りシンプルであるべき、という基本を改めて実感させてくれる道具である。

プロダクトとしての完成度が極めて高いことは言うまでもないが、歴史的な蓄積による洗練の結果が造形や配置やディテールに宿っており、触れているだけでデザイナーとして膨大な学びが得られる。正直これだけで元を取ったような気にすらなる。

画に関しては、不思議と“いつものライカなので特段語る部分がない”ように感じられる(実際には非常に高解像度で階調の優れた画が出る)。その特段語る部分がないように感じさせるということこそがライカの道具としての妙であるが、まぁこのあたりについては語るべき話が多すぎるので割愛する。

センサー自体はソニー製だと言われているが、画像処理エンジン部分でライカの味付けが発揮される。JPGならなおさらだ。とりわけ、モノクロームに関してはライカの独自の魅力的な画が出てくるので、細かいことを気にせずバシャバシャと次々撮影して撮れ高を稼ぐ、といった運用へと(道具に導かれるように)自然と収斂していく。

*****

一般に、カメラというプロダクトは、なかなか存在感のあるものだ。だからその特別さに自分の趣向や願いを乗せやすい。一眼レフやゴツいカメラを手にすると、何か特別なことができそうな気がする。そうやって使い手を乗り気にさせてくれるし、そのような気持ちで撮影を行うと撮影した画にもそれが反映される。おそらくそれは願いを通じたなりたい自分を演じるロールプレイでもあるし、一種の憑依体験のようなものでもあるだろう。

しかし面白いのは、ライカはそうした道具性をあまり重視していない。ブランドとしては特別さを謳ってはいるものの、その実、実際に手にしてみるとなんということもない。特別さはなく、しかしひどく手に馴染む。道具から合わせてくれているという感じはしない。ずっしりと重たいので道具を使っている感覚だけは強い。こちらから身体の一部として認識してあげる必要があり、使わされるのではなく自ら使わなければならない。勝手に特別になってはくれないが、それは限りなく自然な状態を基準に設計されており、自ら特別なものにする意思を受け止める最大限の余白だけが予め用意されている、そういう道具になっているように思える。

細かい話はまた別の機会にするが、プロダクトデザイン的視点から1つおもしろい例を挙げると「グリップ」というデザイン要素の捉え方だけでも他メーカとの大きな違いがある。M11はグリップの存在しない最小限のボディだが、意外にも、一般的な一眼カメラ──手の形を模した大きなグリップがボディに付いたものよりも持ちやすいのだ。M型ライカは、筐体の厚みと、シンプルな半円の曲線を描く端部のせり出し、たったそれだけの要素のバランスによって、保持しやすさが完全に担保されている。これは使ってみなければわからないことだったし、個人的に現在のエルゴノミクスの常識を疑うきっかけにもなった。

こちらは資料的な意味合いが強いのだが、同時期にLeica T Typ701も入手している。ライカ100周年を記念して2014年に新たに設計されたモデルで、デザインはAudiのデザインチームと共同で行われたそうである。あらゆる部分が合理的で、清貧な美しさを纏っている。

Leica Tのグリップも、ライカの伝統的なフォルムである錠剤型のシルエットを加工・編集するデザイン的操作によって造形が決定されているため、M型と同じく見かけからは想像できない奇妙な持ちやすさを備えている。表面はツルツルにも関わらず、そこらのミラーレス一眼よりも持ちやすいというのは、一体どういう魔法なんだという気はするのだが、これが高度な造形的設計のもつ力ということなのだろう。

Leica Tのデザイン的背景についての概覧はこちらの記事が詳しい(参考)
https://arun.is/blog/leica-t/

その後バルナックライカをモチーフとしてリデザインされたデジタルライカのLeica X Typ113も入手して使っており、これはこれでおもしろいプロダクトなのだが、その話は長くなるので割愛する。

Thypoch Simera 28mm f1.4 M

Thypoch | Simera 28mm f/1.4

Leica M11を手に入れた際に、一緒に使うレンズはどうしようかな、と考えていた。M型ライカの良さといえば、やはり携行性とそこから生まれる軽快さや撮影のリズムにある。となると小さくて軽いレンズの方が当然ながら望ましい。手元には、今まで中古で少しずつ集めた小型なライカレンズがいくつかあったので、軽量なセットアップを組んで気楽にストリートスナップを行う用途であれば割と間に合っている。

ともすれば、片やせっかくの高画質センサーなのだから、ライカならではの描写を最大限発揮できるという視点での、最高の組み合わせがほしいと思うわけである。しかしその場合、たとえば現行品のSummilux(明るさと描写のバランスの良いライカレンズ)を手に入れるとなると、なんと本体価格と同程度のコストが掛かる。良いレンズは高いのである。ライカは主業で使う機材というわけでもないため、まぁそのうち…ということにしておく他なく、しばらくは手持ちで遊ぶか〜と思っていた矢先に、Thypochのレンズと出会った。

中国メーカによるいわゆる“中華レンズ”だが、その完成度やビルドクオリティ、企画力はもはや一切侮れるものではない。少なくともマニュアルレンズについては、モノの在り方やデザインに対する認識において、国内メーカはすでに追い越されてしまっている印象さえある。

おもしろいのは、このSimeraはライカのレンズ設計をコピーしたレンズであるが、それと同時に、レンズ設計や外装、インターフェースそれぞれの組み合わせに対してアレンジを施すことでオリジナリティを表現するといった、まるで戦後の日本のカメラメーカのようなプロダクトを生み出している。価格に比して品質が高いというところもそっくりだ。

写りはとてもSummiluxに似ている。しかし画的なバランスが異なっており、完全なクローンというわけでもない。このあたりの塩梅がうまく、適度にAlternativeな存在としての立ち位置を確立している。安い割に使えてしまう、というより、むしろこれが良い。28mmという焦点距離の画角をどのように捉えるかにもよるが、適度な曖昧さと中心部の的確な解像度、端正なボケによる被写体の分離感、そして強引な補正のない画づくりは極めて知覚的にしっくりくる。

もちろん製造品質や描写の精緻さ、レンズ硝材の品質の違いによるカラーの差はライカに勝ることはないにせよ、ここにしかない描写が、ライカをベースにしたアレンジメントとして存在しているという点でユニークである。詳しくはYouTube等でレビューを上げている方の作例を参照していただくとその実力(と弱点)がよくわかると思う。

Thypoch自体は新興のレンズメーカという扱いで、さらに中華レンズ代表格であるTTArtisanなどと比べるとさらに若いが、親会社はシネマレンズを設計製造しているとのことで、ビルドクオリティが高いことにも一定の納得感がある。ぽっと出ではこの品質は出せまい。 出自や活動の思想は異なるが、価格やクオリティラインのポジションとしてはLIGHT LENS LABと比較的近い位置にあるメーカだと言える。

他社のプロダクトをコピーする行為に色々と思うところはあるが、レンズというのは古くから業界の中で模倣を通じて発明を洗練させていくという文脈が存在する特殊な分野でもある。そのため、個人的には、今後オリジナリティのある高品質なプロダクトが出てくることを期待している。

以下は Leica M11 + Thypoch Simera 28mm f1.4 M の作例




3D Connexion SpaceMouse Wireless

Official Website

制作系のツール&ガジェット分野では、今年は3Dマウスを導入した。

大昔から存在自体は知っていたのだが、左手デバイス放浪民としては「買ってもまた使わなくなる」のではと、導入には二の足を踏んでいた。が、これがいざ買ってみて大正解だった。ちょうど製造系の3DCADを使いはじめたこともあり、バッチリとニーズの凹凸にハマってくれた。

左手デバイスで問題となるのは、複雑なキーボードショートカットを多用するタイプのアプリケーションにおいては、キーボードの方が圧倒的に効率が高いという点だろう。習熟度が高まるにつれ、キーボードでしかできないことが増えてくる。カスタムしていけば尚更で、もはや左手デバイスは邪魔になってしまう。キーボード位置からの移動も問題で、左手の移動が増えれば増えるほど効率は下がるので本末転倒になる。

例外として、イラスト制作ではすぐにマッチするだろうと思う。というのも、ドローイング系のアプリケーションでは、そこまで複雑なキーボードショートカットを用いる場面は(自分でカスタムしていない限り)そうそうないからだ。実際に定番デバイスであTourBoxなどは、イラスト制作者からの人気が高い。

一方で、3DCGやDCCツール、3DCADや専門性の高いツールになってくると話が変わってくる。鬼のような量の機能の海をかき分けて、作業の都度、深い階層から機能を呼び出さねばならないことがしばしばあり、これを解決するソリューションとしては左手デバイスは非常に自然な帰結に思える。

作業の煩雑さを解消したい、ある程度の習熟度に達したユーザにとっては、選択肢は限られてくる。複雑なキーボードショートカットを使わないアプリケーションを使用する環境で、かつ左手を頻繁にキーボードに戻す必要のない要件を満たしたデバイスであれば、基本的には使えるということになる。しかしそもそも左手デバイスというのはそのあたりの複雑さを楽にするために存在しているわけで、なんだか矛盾をしているような気もする。

その前提においては、複雑な機能を実行可能なボタン数の多い左手デバイスであればある程度の複雑さは吸収できるかもしれない。とすれば、キーボードの代わりとなるような、それなりに大仰なデバイスを選択するという回答が王道になるのは納得感がある。実際に3D Connexionの上位モデルやXPPen、定番のTourBoxはそのような思想でカスタム可能なボタンを(識別に難が出ない程度に)出来る限り多く実装するという思想に基づいている。

一方で、3D Connexion SpaceMouseは、最小限度の機能しか実行できない、単機能デバイスだ。一応ファンクションボタンは付いてはいるものの、3D操作のビュー操作しかできない。しかしこれでいい。というよりこれが良かった。

つまり、自分にとっては、今まで中途半端にキーボードの代替をさせようとしていたのが誤りで「キーボードに3Dビュー操作ができるジョイスティックを追加した」と考えれば済む話だったのである。左手の持ち替え問題も、キーボードのすぐ脇に置くことで、移動距離を最小限にして設置できロスも最小限だ。複雑な操作ができないという特徴も、「ただのビュー操作つまみ」が追加されたという認識になるため、認知負荷を不必要に高めることなく自然に馴染んでくれる。

デバイスや作業環境は、ユーザにとって様々な前提条件や設置要件、用途の違いがあるため難しく、しかしその究極的に個別解になる点がおもしろいところでもあると思うので、上記の同じような悩みを抱えている(3DCG系でビュー操作の煩雑さに悩んでいる)左手デバイス放浪の民には合うかもしれない(し、一切のごとく合わないかもしれない)。

Denon PerL Pro

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オーディオ分野だと、今年はワイヤレスリスニング環境の高音質化を目的に、いくつかのプロダクトを試していた。特に、ブラックフライデー以後に価格が一気に下がったタイミングで入手した「Denon Perl Pro」が他にはない特徴を備えていておもしろい。

いわゆる完全ワイヤレスイヤフォン(TWS)のジャンルだが、ヘッドフォンと比較すると、そもそも構造的に不可能な表現が存在する(外耳の影響等)。そのため、ピュアめなAudiophileとしてハイエンドを求める趣向や、もしくは制作活動におけるモニター用途としてはTWSは不適であるし、そもそもイヤフォン自体の仕組み上の限界を考慮すると、それらの用途に使うべきではない。

よって、TWSは、外出時等のカジュアルな用途に限定したり、ノイズキャンセルができるデジタル耳栓としての用途が主となるわけだが、普段AirPods Proを使っていると、どうしても「もう少し音質は良くなってほしいな」と思ってしまう。

さらにワイヤレスとなると、最高の伝送コーデックを用いたとしてもかなりの情報量が削られてしまうため、仕組み上の限界もある。なので、入手可能な現在の上限を知りたいわけである。

UXやユーザビリティの観点では、Appleデバイスに勝る製品は市場に存在しないのは言うまでもないが、一方で音そのものへのアプローチは、ここ数年で各社従来にはなかったような方策を次々と提案していっておりおもしろい。特にこのDenon Perl Proは、中耳・内耳の反響音を測定し、個人の耳の形に合わせたサウンドプロファイルを作成できると謳っている。

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実際に試してみると、確かに音場による空間表現は今まで聴いたどのイヤフォンよりも優れている。音を無理に捻じ曲げているような印象もなく、妙にしっくりとくる。aptX Adaptiveの最高音質で接続しているので、多少の劣化は感じはするが、AirPods Proとは雲泥の差だ。無線でこれなら全然いいじゃん、という気持ちになる。パーソナライズのための測定は精度がそこまで高くないのか、何度か繰り返して自分にしっくりくるものを選んだ。3つのプロファイルを保持できるが、それらの差を聴くと、ほんの僅かな差で、人間の聴こえ方は大きく変わってしまうのだということを実感できて良い。

パーソナライズされたサウンドプロファイルは、端的にいえば特殊なイコライザーで加工される感じにイメージとしては近い。頭部伝達関数や様々な畳み込みで擬似サラウンドを作り出すあの音の印象といえば伝わる人には伝わるだろうか。ただサラウンド系の技術とは異なり、違和感は比較的少ない(ただしそもそも原音再生とは全く異なる体験にはなる)。さらに加工による破綻は出来る限り少なく抑えられており、割れたり天井に張り付いたりもしない。自分でイコライジングすることが前提になっているようなので、設定を追い込む必要はあるが、最初に済ませてしまえば良いだけなので問題ない。

現在入手してから1ヶ月程度だが、ヘッドフォンを付けたくないようなベッドサイド等で動画を観る際などに活躍している。そういうこともできるんだな、というメディア体験のためのガジェットという向きではあるが、Spatial Audioが注目される現在のトレンドにおいては、今後擬似的な音響の再現が流行するかもしれないな、ということを想像させてくれるデバイス体験ができる。

*****

ちなみに同時期に「HiFiMan DEVA Pro」も入手しているが、残念ながらこちらの方が圧倒的に音質の面では良い。平面磁界駆動方式だしLDACだし有線でも使える。「Denon Perl Pro」はセンサ技術でパーソナライズするといい感じにできてしまう、という特殊な体験ができるデバイスとして価値があるのであって、オーディオの世界はまだまだ先が続いている。

今年は他にもTWS高音質化のために「HiFiMan SVANAR Wireless」や「Moondrop 夢回–Golden Ages」も入手しているが、これも長くなるので割愛する。どちらも「Denon Perl Pro」に比べると、平面磁界駆動方式の恩恵によりトランジェント特性については圧倒的で解像度も高いが、やはりTWSの限界が見え隠れしている。その点で「Denon Perl Pro」は、その壁を打ち破る可能性を提示してくれている存在のように思える。


ホームベーカリー Panasonic SD-CB1

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今年はホームベーカリーで暮らしが大きく変わった年となった。

私は今まで食パンを下に見ていた。型にはめて焼く、いわゆるホワイトブレッドは、日本で独自の発展を遂げたカレーのような存在である。日本人に合わせた過剰な柔らかさや水分量の多さの代償として、パンの保存性を殺し、香ばしさや噛み応えを失った、魅力のない劣化した偽物のパンだと思っていた。

しかしホームベーカリーを導入して考えが変わった。焼きたてに関しては、食パンは最高に美味しい。そもそも堅パンは焼きたてを食べるためのものではない。主食として保存食の役割を兼ねているのだから当たり前である。だから時間の経った状態だと、バゲットなどの堅パンの方が美味しい。

しかしホームベーカリーはその刹那にだけ存在し得る、最高の価値を提供するのである。部屋に充満するパンの焼きたての香り、アツアツをちぎって貪る快楽、口に頬張ると立ち上り突き抜ける香ばしさ、その瞬間に、人生は絶頂を迎える(すぐに下山する)。



何よりオンデマンドで材料を投じて3時間待てば勝手に食料が完成するというのも大きい。材料もすべて年単位で日持ちのするものばかりだ。全粒粉のような高付加価値のパンも極めて低いコストで生産できる。生存を食物の摂取に依存せざるを得ない動物としては、言い知れぬ歓びを感じてしまう。この機種は新しく出た特殊な企画のプロダクトのようで、0.8斤焼きという絶妙なサイズに設定されており、これが非常に丁度よい。プロダクト開発者の食に対する熱意と、ある種の破壊的な野望を感じる。

最近だと徐々にサンドイッチだけではない活用法を少しずつだが開拓していっている。生地こねこねマシーンとしても使えるので、気合いさえあればオーブンを併用してピザを焼いたりと多用途にも使える(気合いさえあれば)。



Tescom 低温コンベクションオーブン TSF61A

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生活を変えてくれたデバイスとしては、低温コンベクションオーブンも良かった。

実はまだ低温調理をまったくしていなかったりするのだが、とにかくオーブントースター感覚で使えるコンベクションオーブンが便利、ということに尽きる。

オーブンなのに即時起動、予熱時間を気にせず使え(立ち上がりが早い)、温度の指定も10度単位で可能、火を通すだけの温度帯の指定もでき、焼き目を入れるだけのグリル機能も装備、様子を見ながらそれらを途中でサクサクと切り替えて調理を進められるのに、キッチンのどこも汚れない、という神器なので、ここまで来るとオーブントースターの上位互換として位置付けて良い気がする。もちろん3Dプリンターのフィラメントも乾燥できる(2台持ちユーザ)

rabbit r1

最後におまけとして、良いか悪いか全くわからないけど入手してみた結果、案の定全く良くなかったAI系モバイルデバイスの「rabbit r1」

今年は「Humane AI Pin」を筆頭として、スマートフォンからの脱却を図ろうと、次なるインターフェースを模索するスタートアップが相次いだ。この流れを受けて、AI系グラス製品も数多く登場し、のちに「Ray-Ban Meta Smart Glasses」もAI対応を発表するなど、それぞれが影響を与え互いにアップデートし合っている。音声やビジョン認識を通じてAIとコミュニケーションを行い、従来の人がインタラクションを明示的に行うインターフェースを超えて、コンピューティングを完結させたいという欲求が徐々に見え隠れしはじめている、というのが現在の状況だ。これらのプロダクトがその動態を反映しているかたちである。

デザインはteenage engineeringが担当しており、あらゆる要素がかわいく仕上がっている。独自のインターフェースも搭載した類を見ない新しいデバイスである。この点だけでデザイナーとしては手にする資料的価値があった…のだが、かわいいのは良いとして、実際のプロダクトに触れてみると、中身と外装のデザインがすべてちぐはぐな状態で、全体として統合されたプロダクトとして成立していない印象を受ける。近年では珍しい、なかなかピーキーなガジェットであった。

とりわけ製品の特徴となっているダイアル型インターフェースはその存在意義が不明で、リリース時から世界中で批判されてきた。個人的にもトライとしてはおもしろいとは思っているし、LAM(Large Action Model)という独自の「インターフェースを動作させるAI学習モデル」の思想は非常に的を射ていて将来性もあると感じてはいるものの、MKBHDがレビュー動画で批判していたように「未完成のプロダクトをリリースしてデータを集める手法」はその通りだと感じるので、素行があまり良くない印象は拭えない。少なくとも、宣伝にある機能は最初から実装されていなければそれは普通に詐欺的であるとは思うし、ちょっとどうかなと色々と考えさせられるプロダクトであった。そのあたりも含めておもちゃとして捉えられる人にとっては、おもしろい存在とは思う。

使ってみた感想としては、シンプルに「これスマホで良くね?」である。おそらくほとんどすべての人が予想していた通りの内容だろう(ガジェット好きとしてはこれは言いたくないタイプの感想ではある)。実際AIを扱うためのデバイスとしてもスマートフォンの方が優れており、唯一の独自性であるインターフェースはうまく扱えておらず、UIもAndroidに被せた操作困難なハリボテである。

しかし、このような挑戦と失敗の繰り返しが未来を作っていくのは間違いないので、今後も、明らかにハズレであっても自分から地雷を踏み抜いていく気持ちを忘れたくはないし、そういう体験はデバイスの価格以上の価値があると個人的には信じている(お金はなくなるけど)。


総評

結果的にだが、買って良かったものという口実を建前にした「Twitter総まとめ2024」のようになってしまった。

職業的な性質上、表には出ていかないタイプの業務や活動も多いなか、常に流れて見えなくなっていくTwitterから日々の凹凸をサルベージし、モノという軸を通じて日々の創作からの気づきや思索を 1つのコンテクストとして固定しておくというのも、なかなかおもしろいメディアの使い方かもしれない。

今年流行ったものとして「Journaling」というものがあった。日本だとピンとこないかもしれないが、要するに日記を書くことで精神的に思考の整理が行われマインドフルネスになる、という文脈の話だ。昨年あたりから爆発的に流行をして、iOSにジャーナルという謎のアプリが突然標準アプリとして実装されるまでに至った。

その年の振り返りを誰かが参照できる形式で記録する、というのは、1年という単位でのジャーナルに近いものだと感じる。日々の暮らしは基準に乏しいものだ。何を手がかりに記憶をたどれば良いのか、茫漠としてわからないこの世界と人生において、モノというのは記憶のアンカーとしての役割を担っているものだと思う。あの時にあの人から貰ったモノ、遊んだ時に使ったモノ、思い出のおもちゃやゲームソフト、一緒にドライブしに行った車、高校生の時に使っていた携帯電話、etcetc…

記憶を手繰り寄せては捨てていく、モノは消えてもその記憶はなくならない、モノというのはなるほど不思議で魅力的な存在だと改めて思う。

2024年12月31日
sabakichi

追記 おまけ