A body on demand “都合の良い身体” (2023)

Artwork

Experimental, Generative Photography

Generative AIを用いた実験作品。

初期の画像生成AIにおいては、身体の部位が過剰であったり奇形が出力されるなどしていたが、現在では「誤りである」と見做され学習モデルからは修正、出力されなくなった。 しかし機械学習と視覚言語の変換による生成システム──自動化された低次の知性によって極めて純粋に人間を認識した結果が、データ上対応的に示されているに過ぎない。 機械学習が数多の画像から読み取った人間の特徴量を詰め込んだ多次元情報構造体の内部世界においては、その姿こそが人間らしさであり人間そのものである。

Generative AIをある種の特殊解である限定的な低次の知性であると見做せば、学習データから発露した表象である「誤り」を含んだプロセスすべてが構造としては表現(Representation)であると言える。そして表現には不正解はないとする前提に立てば、ノンアラインメントで示される機械による表象もまた1つの回答として認識すべきである。

機械が学習した人間の姿をシステム上において自然な状態で引き出すことにより、それが本来存在すべきであると認識した場所に、自由に機械にとっての人間らしさが現れるように誘導する。可能な限り制限を取り払い、テーマをより的確に表現させるよう指示する。こちらからの具体の指示は一切のすべてを排除する。私はただ結果を受け取るのみである。しかし同時に視覚像として一定の成立をするよう、細やかにプロンプティングのイテレーションを進めていく。そうして学習モデル内に保持されている人間らしさを最大限発揮させて生成させた数万枚のイメージから、作家的介入により成果を評価しピックアップして写真作品として仕上げた。

もしかすると、それは人間が進化の過程で喪失した“あったかもしれない可能性”であるかもしれないし、または人間というフォーマットが持つ超正常刺激のような未踏の生得的価値観を学習データというある種の集合的無意識からレンダリングしたものであるかもしれない。そこにはあたかも都合の良い、人間がそうであるべきであるとする当たり前が提示されているようにも見える。結果として、極めて自然で不自然な生成写真が成立する。